研究

研究

細胞は、自然がつくり出した見事な建築物です。分子や細胞骨格、オルガネラといった多様な要素が、中央の設計者(建築家)なしに相互作用することで、精巧かつ柔軟な空間秩序をつくり出しています。私たちはこれを 有機的建築(organic architecture) の好例と位置づけ、その仕組みを解明することを 「細胞建築学」 と命名し[1]、2006年に国立遺伝学研究所に「細胞建築研究室」を設置して研究を進めています。

細胞の秩序立った構造は生命機能に直結しており、細胞がどのように建築されているのかを理解すれば、細胞の増殖や運動といった基本的な機能の解明に繋がるだけでなく、私たち自身の身体の理解へ、さらには社会や都市といったより大きなシステムの理解にも新しい視点をもたらします。細胞を見つめることは、生命と社会の調和の秘密を映し出し、未来のデザインへのヒントを与えてくれるのです。

[1] さらに詳しく知りたい方は、木村暁著「細胞建築学入門」(工学社2019)もご覧ください

私たちの身体は細胞が集まってできています。細胞は生命の最小単位であり、たった一つの細胞でも自立して生きることができます。しかし、細胞は単なる化学物質の寄せ集めではありません。タンパク質や細胞骨格といった分子が適材適所に配置され、しかも時間的にダイナミックに動くことによって、はじめて生命としての営みが可能になります。これは、部品が正しく組み合わさって住みやすい家ができたり、人やモノの流れがあって街が生き生きとするのに似ています。細胞は、分子の集合体が自ら秩序をつくり上げる「生きた建築物」なのです。

このように、外から設計者がいなくても自然に秩序が立ち現れる現象を「自己組織化」と呼びます。細胞がどのように自己組織化しているのかを理解することは、生命がいかにして成り立つかを解き明かす鍵となります。

細胞建築研究室は設立時から、まず線虫 C. elegans の一細胞胚を対象に、この自己組織化の物理的なしくみを探ることから研究を始めました。定量的な顕微鏡観察と力学に基づく理論モデリングを組み合わせることで、核が細胞中央に位置する仕組み[2]や、細胞質流動が開始し反転するメカニズム[3]を明らかにしてきました。これらの研究から、「ごく限られた分子の相互作用と物理的な力のバランスによって、頑健な細胞内配置が生まれる」という普遍的な視点が得られました。

主な発表論文

[2] Kimura K & Kimura, PNAS 2011; Tanimoto et al, J Cell Biol 2016; Goda et al, PNAS 2024
[3] Niwayama et al, PNAS 2011; Kimura K et al, Nat Cell Biol 2017; Ishikawa et al, PRX Life 2025

この知見を発展させ、現在は初期胚発生という生命現象に挑んでいます。胚が卵割を繰り返す過程で、細胞はどんどん小さくなり、多様なサイズの細胞が同時に存在します。これまで発生研究は主に遺伝子プログラムの側面から理解されてきましたが、私たちはそこに「物理的制約」という観点を加えています。

細胞や核のサイズ[4]、細胞表層の張力や細胞質の粘弾性といった物性が、染色体ダイナミクス[5]、細胞内輸送[6]、多細胞の配置[7]、そして組織形態形成や遺伝子発現タイミングにどう影響するのかを探っています。多様な細胞社会の形成が、最終的には少数の物理的ルールで説明可能であるかを追究することが、私たちの研究の大きな目標です。

主な発表論文

[4] Hara & Kimura, Curr Biol 2009
[5] Yesbolatova et al, Phys Rev Lett 2022
[6] Torisawa et al, bioRxiv 2024
[7] Yamamoto & Kimura, Development 2017; Seirin-Lee et al, Development 2022.

線虫 C. elegans は体長1mmの小さな生物ですが、現代生物学の重要なモデル生物のひとつです。生理学、発生学、行動学から生態学にいたるまであらゆる分野で用いられています。そしてシドニー・ブレナー博士はこう述べました。

「これらあらゆる分野への扉が、爪楊枝やペトリ皿そして顕微鏡といった簡単な実験装置を用いるだけで拓かれるのです」(C. elegans II 巻頭言より)

この言葉の通り、線虫はシンプルな実験系でありながら、生命現象の奥深さを見せてくれる存在です。細胞分裂・分化が高い再現性をもって進行し、生きたまま観察できることも、細胞建築の研究に理想的です。私たちにとって線虫は、まさに「共に歩む研究のパートナー」なのです[8]

[8]リンク:虫の集い(線虫研究者コミュニティ)ウェブサイト

線虫の初期発生

ここでは、たった一つの受精卵が細胞分裂を繰り返し、やがて幼虫の形へと成長していく様子を約450分間にわたり撮影し、900倍速で再生しています(卵の大きさはおよそ0.05ミリ)。丸く見えるのが細胞核で、分裂のたびにその数が増えていく様子がわかります。最初はただの細胞のかたまりが、少しずつ秩序を帯び、線虫らしい形を見せ始める——まさに「生命が形を得る瞬間」を垣間見ることができます。

線虫の第一分裂

受精後に最初に起こる細胞分裂を、約20分間にわたり観察し、100倍速で再生しています。卵の左側には母親由来の核、右側には父親由来の核があり、両者が出会ってひとつに融合すると、新しい個体の核が誕生します。その後、細胞は左右に分かれますが、大きさは対称ではありません。左の細胞は大きく、右の細胞は小さい——この「非対称分裂」によって、二つの細胞はすでに異なる性格をもち始めます。同じ親から生まれた細胞が、それぞれの道を歩み出す第一歩です。

線虫の細胞分裂における染色体分配

こちらは、細胞が分裂するときに「染色体」がどのように正しく分けられるのかを、特殊な蛍光顕微鏡で観察した映像です。染色体と、それを引っ張る細い糸状の構造(細胞骨格)を光らせることで、分裂の仕組みが見えるようになっています。中央に糸くずのように輝くのが染色体で、両側から伸びる繊維に引っ張られて、二つに分かれていきます。このとき染色体と繊維がつくる菱形の構造を「紡錘体」と呼び、細胞が次の世代へ正確に情報を受け渡すために欠かせない装置です。

ゲノム解析や網羅的データの進展により、私たちは大量の情報に囲まれる時代に生きています。イメージング技術の発展によって正確な定量データを得られるようになり、複雑な生命現象を対象とするには、定量化と計算がこれまで以上に重要になっています[9,10]

しかし、データを集めて数値化するだけでは十分ではありません。どれだけ膨大な情報があっても、それがどのように組み合わさって仕組みを形づくるのかは、そのままでは見えてこないからです。そこで必要になるのが「モデル」です。

ここでいう「モデル」とは、生命現象の要点を抜き出し、単純化して表現したものです。地図が現実の街を縮小して表すように、モデルは細胞のふるまいを理解するための道しるべとなります。モデルをつくることで「もしこの分子が働かなかったらどうなるか」「力の大きさを変えると挙動はどう変わるか」といった問いを具体的に検証することができます。そして、そのモデルの定量的な挙動をデータと突き合わせることで、直感だけでは気づけない規則性や原理を見出すことができるのです。

4次元モデル、すなわち「空間の3次元に時間を加えたもの」を扱うモデルは、私たちの研究において中心的な道具です。細胞のふるまいは刻一刻と変化するため、そのダイナミクスを正しく理解するには、時間軸を含めた「4次元」での記述が欠かせません。

モデルの第一の役割は、観察された現象を再現し、その仕組みを理解する助けになることです。しかし実際にモデルを構築してみると、思いがけない壁にぶつかります。例えば「この動きを説明するには、どの分子の働きを考慮すべきか」「力の大きさをどう見積もるか」といった問いに答えられないことが多々あります。つまり、モデル化の過程では、自分たちが何を知っていて、何を知らないのかが鮮明になるのです。この気づき、すなわち「無知の知」こそが、新たな疑問や研究の動機を生み出す大きな力になります。

さらにモデルは、成果を表現する手段としても重要です。たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチは、画家であると同時に科学者でもありました。彼が描いた解剖学のスケッチや遠近法の研究は、科学的探究と芸術的表現が互いに影響し合って生まれたものです。私たちにとっての4次元モデルも、それと同じです。現象を補完的に理解する「研究の道具」であると同時に、そのダイナミクスを直感的に人に伝える「表現の手段」でもあるのです。

[9]リンク:定量生物学の会ウェブサイト
[10] 細胞建築学に関連する定量的な手法について具体的に知りたい方は、Akatsuki Kimura著「Quantitative Biology–A Practical Introduction」(Springer, Singapore 2022)もご覧ください